ポラリスとは?
男性型脱毛症(AGA)の治療薬の一種。アメリカの同名の製薬会社が生産・販売を行っている。
ミノキシジルの含有量では、他の薬と比べて特に優れているわけではないが、患部に塗布して使用するため効果を引き出しやすいという特徴がある。もちろん、抜け毛を克服したい箇所がある場合にも有効である。
ただし皮膚の炎症などが起こった場合には注意が必要となる。もともと副作用が多い薬ではないが、頭皮のかゆみやかぶれ、また低血圧などが若干報告されている。
最近は、ミノキシジルをはじめとした有効成分の含有量が異なる商品が数種類発売されており、利用者にはその点に配慮しながら購入品を選ぶ姿勢が求められる。
ポラリスの語源
バイエル名はα星。フラムスティード名でも「こぐま座1番星」、「プトレマイオスの星表」でも「ティコの星表」でも、それぞれこぐま座の最初に掲げられていた。
ポラリスは、北極距離が2000年分点で約44分と天の北極に非常に近い位置にあり、最も天の北極に近付く2102年の前後数世紀間は北極星となっている。
特徴
ポラリスは三重連星で、黄色輝巨星(または超巨星)でケフェイド変光星でもあるポラリスAと、薄黄色の主系列星であるポラリスBとが約2400au離れて回り合う実視連星となっている。ポラリスBは中口径の望遠鏡でも見ることができ、1780年にウィリアム・ハーシェルによって発見された。
1929年に分光観測によって、ポラリスAにもう1つ非常に距離の近い伴星(ポラリスP、ポラリスa、ポラリスAbなどと呼ばれる)が存在することが明らかになった。2006年1月にアメリカ航空宇宙局はハッブル宇宙望遠鏡でポラリスを撮影し、3つ全ての星を直接撮影することに成功した。ポラリスAに近い方の伴星は主星であるポラリスAからの距離が17auしか離れていないため、主星の光に埋もれてほとんど見ることができない[9]。
ポラリスAbはポラリスAのすぐ近くを公転する矮星である。最近の観測で、ポラリスはA, F型の恒星からなる集中度の低い散開星団の一部である可能性も示唆されている。
ポラリスAは古典的な種族Iのケフェイド変光星である(銀緯が高いため、かつては種族IIであると考えられたこともあった)。ケフェイド変光星は距離測定の標準光源として用いることができる重要な天体であるため、地球から最も近いケフェイドであるポラリスは詳しく研究されている。1900年頃の観測では、ポラリスは約3.97日の周期で平均光度から約±8%の振幅で変光していた。しかし20世紀半ばになるとこの星の変光の幅は急速に減少した。1990年代半ばには変光幅は1%にまで減少し、現在も低い水準が続いている。またこの約100年間で平均光度は約15%明るくなり、変光周期は1年に約8秒の割合で延びている。
名称
固有名のポラリス (Polaris) は、ラテン語で「極の」を意味する言葉で、近世になってこの星が天の北極に最も近くなったことから名付けられた。2016年6月30日に国際天文学連合の恒星の命名に関するワーキンググループ (Working Group on Star Names, WGSN) は、Polaris をこぐま座α星Aの固有名として正式に承認した。
ポラリスは肉眼で確認しやすい星の中で最も天の北極に近いため、16世紀頃から北極星として機能しており「極の星」や「北の星」という意味合いの名前で呼ばれていた。以後、世界各国では自国語で「北極星」という意味合いの名前で呼ばれることがほとんどである。英語でも The North Star、The Pole Star、The Polar Starなどと呼ばれるが、英語圏では近年、固有名の Polaris で呼ばれるようになってきている。
その他、ナヴィガトリア (Navigatoria)、ギリシア語起源のキノスラ (Cynosura)、フォエニケ (Phoenice)、アラビア語起源のアルルカバ (Alruccabah) などと呼ばれていた。キノスラはギリシア語で「犬の尾」を意味する言葉に由来し、17〜18世紀の天文書にしばしば登場する名前だが、今日では完全に忘れ去られている。アルルカバは「(大熊の)膝」を意味する al-rukba というアラビア語に由来し、これは元々おおぐま座θ星を指す言葉が誤ってこの星に使われるようになったものである[7]。
昔の中国での名称
天の北極付近にある勾陳(こうちん)という星座の1星であり、勾陳第一星(勾陳一)とか勾陳大星と呼ばれていた。中国の天文学において、この星は何の変哲もないその他大勢の星の一つに過ぎず、全く注目されていなかった。日本の天文暦学者・渋川春海の星図では北極という星座の第五星・天枢と同定される。ただし、春海は独自に観測して星図を作成しているので、中国本土の伝統的な星の同定とは異なる場合もある。
日本での名称
日本各地でさまざまに呼ばれた。
- キタノオオボシ(北の大星)
- キタノヒトツボシ(北の一つ星)
- キタノホシ(北の星)
- キタノミョウジン(北の明神)
- キタノミョウジョウ(北の明星)
- キタボシ(北星)
- シンボシ(芯星):回転の心棒
- ネノホシ(子の星):方角、北に当たる
- ヒトツボシ(一つ星)
- ホウガクボシ(方角星)
- ホクシン(北辰)
- ホッキョクサマ(北極様)
- ミョウケン(妙見)
- メアテボシ(目当て星)
- ニヌファブシ(子の方星)- 沖縄(沖縄方言)
- チヌカルカムイ(私たちが見る神) – 北海道(アイヌ語)
探し方
ポラリスを探す方法は以下の2種類が有名である。
- 柄杓形で表現される北斗七星の7星のうち、柄から一番遠い2星を結んだ線上、柄杓の上側にある。柄杓の先端からの距離は、先の2星の間隔の約5倍である。
- W字形で表現されるカシオペヤ座の5星のうち、片側2星の延長線と反対側2星の延長線の交点と中央の星とを結んだ線上、W字の上側にある。中央の星からの距離は、先の交点と中央の星との間隔の約5倍である。
ポラリスに関する伝承
地球から見て北極星はほとんど動かないという特殊な性質があるため、世界各地では一般的に不動の星として認識されており、様々な伝承が残っている。ところがその中にあって、日本においてはポラリスも僅かだが動くことが、民間伝承として伝えられている。伝承とは次のようなものである。
江戸時代大坂に、日本海の北回り航路で交易をしていた桑名屋徳蔵という北前船の親方がいた。ある夜留守を預かる徳蔵の妻は、機織りをしながら時々夫を思っては北の窓から北極星を見ていた。すると北極星が窓の格子に隠れる時があり、彼女は北極星は動くのではないかと疑いを持った。そこで次に彼女は眠らないように水をはったたらいの中にすわって一晩中北極星を観察して、間違いなく動くことを確かめた。帰ってきた徳蔵に彼女はこのことを告げ、この事実は船乗りたちの間に広まっていった。
この伝承は、ポラリスの可動性を説いたものの一つである。伝承は瀬戸内海沿岸を主として広く分布しており、当事者の名前、苗字、職業、妻の作業内容やポラリスの可動性を発見したシチュエーションなどに様々なバリエーションがある。また、名前の類似から天竺徳兵衛とされたり、職業から紀伊国屋文左衛門とする地方もある。
ただし、ポラリスが北極星として認識されるようになったのは、ヨーロッパでも大航海時代となった16世紀(1500年代)になってからのことである。この伝承は1800年代のことになるが、当時のポラリスの北極距離は2度に満たず、ポラリスの可動性に気付いたのは北極距離が3度近くあった1600年頃だと推定されている。なお、これはあくまで民間での話であって、歳差は(その原因についてはともかく)古くから知られていたので、学問的には、北極星が遷移することは洋の東西を問わず常識であった。